【1日1読】ル・クレジオ『物質的恍惚』
人間は自己を形成するために教養を用いるべきであって、自己を忘れるためにではない。
昨日の続きに書かれている部分です。
私など、自分を忘れるために、一体どれだけ本を読み、映画を読んだことでしょう……!
しかしそれでも、結果として、私という人格が形成されたことは事実でしょうけれども。
自己を形成する、とは、つまりどういうことなのでしょうか?
それは、「何が重要であるか」の、自分だけの評価軸を作るということです。
数学的に言うと、自分という名前の機能関数を作るということ。
この世界のすべてのモノとコトのなかで、自分にとって何が重要であるかを判断する、その主体が「自己」なのです。
部下のダメなところばかり見るのか、良いところばかり見るのか。
(人は、ほめて伸ばす方がより成長が早い、というには、すでに科学的根拠が見出されています。)
もちろん、自分だけでなく、他人が何を評価しているのか、を観察することもできます。
場合によっては、その人と付き合うことをやめたくなる、そんな判断もせざるを得ないことがありますよね。
つまり、他人の教養とは、すぐに見抜けてしまえるものなのです。
著者のル・クレジオは、テーブルの角、ひとつの街路、慣れ親しんだ顔など、どこにでもあるものに目をそそぎます。
退屈な視線、ではあるでしょう。しかし、彼はそこから、私が思いもかけない思考を始めるのです。
何が重要であるか、の指針が人によって全く違うことによって、世界は細かいレベルまで評価され、知らなかったことを知ることができ、文化は生まれるのです。