antihoneyロングインタビュー

2019年4月20日、Twitter上に、驚くべきアカウントが出現した。
antihoney。この名前の響きは、ある種の人々にとって、特別なものだ。
一度聴いたら忘れられない幻想的で芳烈な曲調、内省的でありながら聴く者の感情を揺り動かす音の造り、そして今にも消え入りそうなフェミニンな歌声……。
とある短編アニメーションに楽曲が使用されて以来、プロフィールの一切不明な、ネット上でのみ活動するこのミュージシャンのファンは、少しずつ、世界中で増えていった。
だが、活動は何年ものあいだ確認されず、このまま伝説的に語られるだけの存在になるかとばかり思われていた。
突如として、彼女が姿を現したのだ。
私は、どうしても彼女に話が聞きたかった。12月、私はメールでインタビューを申し込んだ。

 二〇〇〇年代初頭から活動していたことが確認されているantihoneyというミュージシャンについて、さまざまな噂がネットに流れていた。彼女はどこの出身なのか。日本のバンドらしい。いや、歌っている女性の名前だ。自殺を図ったそうだ。へえ、で、それどこに書いてあったの? ファンがYoutubeにアップロードした動画のコメント欄では、いつの間にか英語とスペイン語での議論で埋め尽くされるようになった。
 先に答えを記しておこう。antihoneyなる人物は、ひとりの日本人女性で、自身が作った音楽を自前のウェブサイトで公開していた。時にコンピレーションCDに参加し、時にフリーゲームのBGMとして使われるようになった。だが、楽曲のみが出回り、アーティスト情報はネット上に一切存在していなかったため、曲が持つ強い印象から、様々な噂が創作されていたというわけだ。
 今回、彼女がTwitterアカウントを開設したのは、自身が無料公開していた音楽が、見知らぬ第三者の手で有料配信されていたためだ。楽曲を守るために、彼女は行動を開始したのだった。
 しかし一ヶ月後、彼女の動向は思いもよらぬ方向へ進んだ。
 Twitterに次々と寄せられる彼女へのメッセージに背中を押され、音楽活動再開を宣言したのだ。
 Youtubeに公式チャンネルが設けられた。新曲が公開された。
 私には目まぐるしい展開だった。一〇代半ば、彼女の音楽に出会って以来、ネットに出回っている曲を、作者本人の意思を無視している可能性に気づきつつ必死に探し回り、何百回と繰り返し聴いた私にとっては、antihoneyの音楽は青春の音楽であり、創作の源であり、感性の育て親でもあった。
 気がつけば、事態が眼の前で大きく動いている様子を、そして本人が自身の曲について語る内容を、毎日のように追っていた。
 彼女のコメントをつぶさに読み直していたところ、ある段階で私は思考の駒を手に取り、盤上に動き進めていた。
 この一連の騒動は、何よりもまず、不誠実な著作権侵害に抗うアーティストの行動サンプルとして重要なものだ。特に、商業的バックボーンを持っていないアマチュアミュージシャンの行動として。
 第二に、これはかなり稀有な例だと思うが、彼女はこれだけ高品質な音楽を制作し、熱烈なファンを獲得しながらも、一〇年近く沈黙を貫いている。この間、ネット文化も、音楽配信プラットフォームも、大きく変わっている。彼女が活動を再開する時、今日の状況がどれほど彼女の活動に関わるだろうか。
 それだけではない。
 もしネット上にのみ窓口のあるアーティストと連絡が取れなくなった場合、ネット上でコピーされ続ける作品の権利はどうなるのか。
 アーティストの情報が極めて少ないがゆえに、誤った(あるいは創作された)プロフィールが流通し続けた場合、リスナーは、そしてアーティスト本人は、どのように受け止めれば(そして行動すれば)いいのか。
 彼女の動向が、こうした現代特有の疑問に対する判断材料となり得ると、私は思った。
 明らかに、貴重な事例だった。だからどうしても、詳しい動向を本人から直接聞くべきだと考えた。
 一二月、私は、彼女にメールを送った。長いメールになった。
 今回の申し出の文面は特殊な文章となったのでここには公開できないが、私は彼女に直接会ってインタビューできることになった。
 そこで、いくつかの質問をメールで伝えた。いくつか、と言っても、私が尋ねたいことはたくさんあった。嬉しいことに、各質問への詳細な回答を、インタビュー数日前にメールで頂戴することができた。
(なお、このantihoney氏からの回答は、書籍『機関誌 彗星読書倶楽部』に全文収録される。また、これから記すインタビュー内の固有名詞などについての注釈もそちらに書かれており、当ページでは省略している。

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 二〇二〇年一月、銀座『十誡』でインタビューが始まった。

——今日はお越しいただいて本当にありがとうございます。本日は質問をさせて頂く前に、ごく簡単にですが、ネット上で確認できた限りでの、antihoneyさんの活動履歴をまとめてみました。ツイッターユーザのhare(@haretoke)さんが以前にまとめてくださったものが今も閲覧可能でしたので、それを元にしています。それによると、antihoneyという名前でウェブ上に登場したのは、二〇〇二年か二〇〇三年とのことでした。

a:実際には一九九九年にはウェブサイトをもう作ってあって、muzieに曲を公開し始めたのが二〇〇三年って感じです。ミレニアムを越す感じで活動を始めていました。「Constant Flow」という曲があるのですが、これなんかは一九九九年に作ったものです。

——九〇年代に作られた楽曲に関してもツイートされていらっしゃいましたね。

a:はい、そうです、お恥ずかしくて表に出せないのですけれど。

——antihoneyというお名前を使う前にも音楽活動はされていたと。この頃には逆再生シリーズや日本語曲・カヴァー曲が公開されていたようですが。

a:二〇〇〇年頃に、歌い方のプロトタイプというか、どんな歌い方が自分にマッチするのか、実験的なことをやっていた時期があって、その時に、曲を逆再生して確認する、ということをやっていました。面白かったので、反対向きにした方が! それで「eb ti tel」——「Let It Be」のカバーなんかがmuzieにアップされていたという感じです。日本語の曲のカバーがあったのも、日本語の曲を自分がやってみたい歌い方で歌ったらどう聴こえるのか知りたくて、作ったものをmuzieに投稿していたというかたちですね。

——このあと二〇〇四年頃にウェブサイトを移転されて、カバー曲は非公開になったとされています。

a:この時ライセンスのことを気にし始めて、ライセンス料を払えていない楽曲があったので、それでカバー曲はみんな取り下げをしました。

——当時はお写真や動画も公開していたようですが……。

a:お恥ずかしながらPVのようなものを作ろうとして動画を作ったこととか、あとは写真も好きだったので、当時撮っていた白黒写真をサイトに上げていました。

——そして一番大きく動くきっかけとなったのが、二〇〇五年にぴろぴとさんの映像作品「doll」に楽曲が使われたことかと思います。

a:「doll」に使われた「Dove」という曲も実験的に作っていて、途中までしか作っていなかったのですが、どこかしらでぴろぴとさんの目に留まり、「使っていいですか」という連絡がありました。コラボっていうほどじゃないですが、提供させていただきました。

——そしてzephlabel主催のCD『Interregnum』に「Stars On My Window」が収録されます。この頃から、いくつかのフリーゲームにも楽曲が使われ始めます。

a:『SPIGEL EL』などですね。

——その後、私がとても気になっていたポイントになるのですが、二〇〇七年から二〇〇九年にかけて公式サイトが閉鎖されて、サイトにはアクセスできなくなったのですよね。けれどこのタイミングで、ファンがYouTubeやニコニコ動画に曲をアップするようになり、知名度が一気に上がることになったのではと思います。サイトが閉鎖されたのは、ご自身の意思で閉鎖された、ということだったのでしょうか。

a:そうです。公開用の更新をしなかったということです。ドメイン料は払い続けていたのですが、その頃は音楽活動は停止すると決めていました。

——私が初めてantihoneyさんの音楽を知ったのもやはり「doll」がきっかけで、「このミュージシャンの公式サイトは閉鎖されているんだ!」ともどかしい思いをしたのを憶えているので、「doll」を私が観たのはこの頃でしょう。

a:そういう方が多いみたいですね。二〇〇九年頃に私を知って、サイトがないことを知った人が多いようです。hareさんとは連絡が取れなくなってしまい残念です。私が憶えていないことまでまとめてくださって。

——hareさんのツイートはantihoneyさんに関する一次文献と化しています。しかし二〇〇九年に活動を再開されていますね。この時公開されたサイトが、数年前まで公開されていたサイトだと思いますが、同時にmuzieからはアカウントがなくなりました。さてここまでがhareさんによる情報なのですが、二〇一五年頃、bandcampにあったantihoneyを名乗るアカウントに、突如日本語曲がアップされます。ファンの間では話題になり、「まさかこんなものがあったのか!」と。

a:そのアカウントは私が作ったものではないですね。二〇一五年の夏頃、ちょうど流星群がやってくる時期で、サイトに一時的に「ほしめぐりのうた」をアップしました。友達と流星群の話をしていて、「今夜見られるかな」なんて言いながら、「『ほしめぐりのうた』っていうのを作ったことがあるから、サイトに公開するね」と、それは友達宛に公開したものなのですが、たまたまbandcampの人がキャッチしてくれたのでしょう。

——この時美空ひばりのカバーも出現しました。

a:私、その時にそれも公開したのか。当時ファイルの受け渡しサービスが未発達だったので、自分のサイトを使って渡していたんです。

——では、あの時bandcampに出現した日本語曲は、一時的に公式サイトに上げたものを誰かが保存して転載したと。

a:よくそんな短時間でキャッチしたなと思います。確か公開したのは二〜三日だったんじゃないかな……? 「Let It Be」の逆再生バージョンなんかも、ごく短時間だけ公開していた記憶があります。友達に渡し終わったら消しました。

——二〇一八年にサイトが見られなくなり、昨年二〇一九年四月にツイッターアカウントが開設されました。

a:二〇一八年の末に、もう完全に音楽活動を停止しようと考えて、機器の整理を始めたりとか、データの破棄をしたりとか、いろいろしていたんですけど、一月〜三月にそんなことをダラダラとしていたら、メールが一通来まして、「Appleとかで売ってるのになんで閉鎖するの?」と。「えっ、なんのことだろうな」と思って自分で調べたら、知らない間に曲が転売されていて、「なんということでしょう」という感じでした。誰か助けてくれないかなと思ってツイッターのアカウントを作りました。

——お答えがそのまま、事前にお伝えした第一の質問につながるのですが、音楽活動は、完全に終わる予定だったということでしょうか?

a:終わる予定でした。

——もしそのメールが来ていなければ……

a:そのまま終わっていたと思います。

——曲も全部デモヴァージョンのままで。

a:そうですね。曲が転載されていることは認識していたのですけど、どれほど転載されているのかはわかりませんでした。私の音楽って、反響をいただけないタイプの音楽といいますか、ひそかにリスナーさんがいる音楽で、みなさん何を感じて聴いてくださってるのか、私には知る手段があまりなくて。たまにメールで連絡をいただけて、良かったです、悪かったです、と言っていただけるという程度でずっとやってきました。このころは、稚拙な言い方ですが、自分の音楽の才能の無さに嫌気がさしていて、こんな中途半端なら辞めてしまったほうがいいなと思っていた時期でした。「どうせファンの方もいないし、いいかな」っていう感じで辞めようとしていました。辞めようとしてみたところ、反響が出るようになって、実はまだ聴いてくださっている人が何人かいるんだな、と、この頃初めて認識しまして、ツイッターやフェイスブックでファンとつながっていくことになりました。メールも無精なので、三ヶ月に一回くらいのゆっくりペースでチェックしていたんですね。この時は、「閉鎖前に一度見ておこうかな」と思ったところでびっくりしたと。

——それを知ったリスナーとしては、偶然、首の皮一枚つながったんだなという気持ちです……。活動されていない時期、ネット上の反応、特にYouTubeのコメント欄はご覧になっていましたか?

a:たまにYouTubeを見ていたら自分の曲がオススメに出てきたりしまして。たぶん、「Let It Be」を聴こうとして検索したら出てきたんですね。あ、気に入ってくださってる人がまだいるんだな、とぼんやり認識していました。それ以外はタッチポイントがなかったです。

——今、antihoneyというワードで検索すると、ほとんどご自身のツイートだけが出てくる状態になっていますが、それ以前は、海外のサイトで根も葉もない噂話が書かれていたりしました。外側にいる人間からすると、それは面白い現象だと感じていました。曲の雰囲気から作者の人物像をでっち上げて、それをインターネットに流すとそれがまことしやかになっていく、けれど情報源はどこにもない……antihoneyという名前は、そのような存在として、今までネット上で語られていたのですね。

a:私も、色々なことが発覚してから自分でググってみて、「どこから来たんだこんな情報」というものをたくさん発見しました。hareさんは正確に把握してくださいましたが、外国からときどき来るメールには「死んだんじゃなかったの?」と極端なことが書かれていることがあり、「どういう意味だろう!?」と思っていました。音楽活動をやめていることを指して死んだと言っているのか、私が自殺したとか、事故に遭ったとか、つまり本当に死んでしまったっていう意味なのか……「この人は何を問いかけているのだろう」と。不思議な現象でした。ググってみると、antihoneyと名乗る人が沢山いて、私の知らないところで色々なことをしているのだなと知りました。その時にYouTubeのコメントも見て、こんなに長い間にコツコツとコメントが溜まっていったんだなあと思いました。この時期以降は、何か起こっているのか、正確に把握できていると思います。

——四月のツイッターの開設後、コメント欄には、英語、ハングル、キリル文字、そして意外とスペイン語でのコメントが多数見られ、世界中にantihoneyさんの音楽を愛聴している人々がいると言ってもいいのかなと思います。

a:ありがたいことに、いくらかのファンが世界のいろんな地域にいらっしゃるんだな、と気付きました。なぜか南米の方から連絡が来ることが多くて、それがほぼスペイン語で書かれているんですけど、なぜこんなに南米で反応が見られているのか自分でもわかりません。

——ぴろぴとさんの動画でもスペイン語のコメントが付いていることが多いです。

a:南米の人がぴろぴとさん経由で私にたどり着いているのでしょうねきっと。

——その可能性は高いでしょうね。

a:なんで南米、と思っていたので、謎がひとつ解けました。

——ツイッターやYouTubeでの沢山の声援が、アカウント開設からぴったり一ヶ月後に、「antihoneyプロジェクト再開」の告知につながるわけですけれど、この一ヶ月間で音楽活動再開を決心されたとなると、大きく動いた一ヶ月と言っていいでしょうね。

a:もう音楽は全部やめてしまおうと思っていた時期から、ツイッターでちょっと情報収集しようと思ったのを経て、そして活動を再開しようと考えた、その一ヶ月間はジェットコースターのようで、大量の情報が流れ込んできました。ポジティブな情報が多かったんですよ。先ほども話題にしましたが、フィードバックのあるような領域ではないところの音楽を作っていたので。ファンの方と会うわけでもなく、「これほど聴いてます」という反応のまとめがネット上にあるわけでもなかったので、誰かが聴いてくださっているとは思っていなくて、ツイッターで「聴いてるんだよ」というフィードバックをもらったことによって、昂ぶってきたと言いますかやる気が出てきたと言いますか、せめて聴いている人に恩返しくらいしないといけないなと思い始め、プロジェクトの再開を決めました。

——再開後の展開は後ほどお聞きすることにしまして……楽曲にまつわる問題について伺いますが、問題は、楽曲が販売されていた、という点でしたね。

a:そうですね。転載については、されるものだと思っていました。ぴろぴとさんがきっかけで出回ることになった以上、そうなるだろうなと。なので気にはしていなかったのですが、曲が商用に利用されるとなると話は別だなと思いました。私はリスナーさんの多いアーティストじゃないですけど、もっとリスナーさんのいらっしゃるアーティストが同じことをされたらどうなるのか、どんなに不誠実なことになるのか、それを知ってほしいなという気持ちもあって、そのようなインシデントに遭ったことを自分から情報発信して、対策の取り方を共有できればいいなと。勝手に販売されたことに関してはメンタルダメージを受けましたね、自分の中では大きな事として捉えています。

——違法アップロードされた曲が配信停止されるまでは、かなりスムーズな推移をたどったようにも見受けられます。

a:始めはどこまでやればいいのか分からなかったので、「どうしたらいいの?」といろんな人に聞き回っていたのですが、ミュージシャンの廻転楕円体さんから「おそらくアグリゲーターと呼ばれる仲介業者を介してアップロードされているから、一箇所を止められれば他も止まると思うよ」というお知恵を頂きました。そこで、アグリゲーターと密接な関わりを持っていそうな大手プラットフォーム、AmazonとかApple、Googleなどにメールを送って、「どこかのアグリゲーターから違法アップロードされている、どうにかならないか」と申し立てをしたところ、Amazonが反応して、Amazon経由でアグリゲーターに忠告が行って、実際の取り下げは、おそらく違法アップロードをしていた人物本人が行ったんじゃないかと思います。ものすごく早かったので。Amazonが止めたというよりは、Amazonから誰かに警告が行き、「やばいな」と思って本人が消したんじゃないかと想像しています。

——アカウント開設からそこまでは一週間ほどではありませんでしたか。

a:そうですね、早かったです。ただ、アグリゲーターを介さずに個別にアップされたものや中国のサービスは、連絡しても相手にされず、いまだに違法にアップされている状態です。重大ごととは捉えられていないのでしょう。

——それ以降、デモ版をantihoneyさんご本人が改めてアップロードされます。

a:廻転楕円体さんとも話したのですが、今回の問題は「配信したもの勝ち」というルールの隙を突かれた形なので、本人が配信をしてしまえば乗っ取りの防止が可能と考え、急いでデモ版のままアップロードしました。本当はもっといい音質でアップしたかったのですが。

——今回、「どうしてもantihoneyさんにお話を聞かなければ」と思った理由が二点ありました。まず著作権問題というのは、どの分野、どのメディアでも筆頭に来る。また、ネット上の発表媒体は周期的に進化していて、安定しているというよりは、法整備や互いの力関係が常に揺れ動いている中で利用者が増えているため、安定しているように見える、と考えるのが事実に即しているのではと思います。インターネットにおいて、作ったものを公表する(される)メディアをめぐる状況は、過渡期と呼ぶべき時期があると考えるなら、今に至るまでずっと過渡期と言えはしないか、と。ならばそれを今後どう考えるか、色々な事例を探してみるしかないか、と思っていた時に、antihoneyさんのツイッター開設という出来事が起こりました。当初はファンとしてただただ嬉しかったのですが、著作権とプラットフォーム、このふたつに直接関わる騒動であると分かってからは、ひとりのアーティストが直接対応する事例として経過を見ていました。

a:多くの人がCDで音楽を買わなくなり、ネットにアップロードされているものは違法だろうが合法だろうがとりあえずはダウンロードする、という状況はずっと続いていますが、流れが速くなった、というのは日々感じていて、Spotifyなんかも急に盛り上がるようになったし、ストリーミングに肯定的ではなかったアーティストも波に乗るようになりました。プラットフォームの在り方が変わってゆく以上、対処の方法もどんどん変えていかなければいけないのでしょう。

——ちなみにantihoneyさんは、CDで音楽を買われることはありますか?

a:今はもう全然ないです。私はデジタルでダウンロードしかしないです。YouTubeではよく聴いています。アーティスト本人が公開しているプレイリストを流していることが多いです。CDは置き場所に困るので、何年も前から買わないことにしています。森さんは買われます?

——買うことはありますね。とは言え、Spotifyを知ってからは、ついそちらばかりになってしまいますが。でも、物として持っている、ということ自体が好きです。個人的なことを言えば、私は平沢進の大ファンなのですが、彼はずっとCDでの販売に注力しているので、ほぼ全て手元に揃っていると思います。

a:コレクターですね。

——一種の病気です。

a:手元にあるものって宝物のような、特別な存在価値があると思います。私も、大好きなアーティストがCDを新たに出したら買うかもしれません。私はリスナーさん達に比べると歳がいっているので、八〇年代九〇年代の音楽を好むのですが、その頃のミュージシャンは残念ながら、そろそろ亡くなる時期に来ています。

——その当時、どういうジャンルがお好きだったんですか?

a:なんでも聴いてましたね、レゲエもロックも聴いていたし。ラジオから流れてきて素敵だなと思ったものなど、なんでも。九〇年代はポストロックをよく聴いていました。インディーズやオルタナも聴き始めて、二〇〇〇年代に入ってからはそれ一色でした。

——antihoneyさんに影響を与えた音楽は、八〇〜九〇年代の曲でしょうか、それとも二〇〇〇年代以降でしょうか。

a:九九年頃に自分が新しい感じの曲を作り始めた頃から、他のアーティストの影響を受けるようになったので、九〇年代後半から二〇〇〇年代にかけて、ミレニアム前後の音楽に影響を受けていると思います。

——確かに、その辺りと考えると、一曲がものすごく長く作られたポストロックの音楽が思い浮かびます。そう言えば、All Starシリーズは、もともと一曲だったそうですね。一曲の中に複数の曲が入っている、というのはポストロックからの影響だったのでしょうか。

a:そうです、まさに。九〇年代後半では、God Speed You! Black Emperorとか、My Bloody Valentainなんかを聴き始めていて、長い協奏曲のような形式に感銘を受けて、自分でも構想していました。実は、「Dendrite」もAll Starsシリーズの一部なので、実際には一曲を五分割しています。もともとの一曲を作った時に、二パターンできたんですね。それを連結させて、さらに五分割したのが今の「Dendrite」とAll Starsシリーズです。もともとの曲は、ずっと同じコード進行で展開していましたから、今でも一曲に統一しようとすればできる構成になっていたと思います。

——活動再開後に公開された「All Stars Light Day And Night」が結末部に当たるのでしょうか。

a:そうですね、二〇〇九年頃には作っていたのですが、作りきれなかったというか、音楽に対するモチベーションが下がっていたので、半端なまま置いてあったんです。それが今回作り込むことができたので、よかったかなと感じています。

——ここからは活動再開されてからのことをお聞きします。新版はプロデューサーさんと共同制作されたとのことですが、以前から彼を知っていらっしゃったのでしょうか。

a:いえいえ、私が飛び込み客のようにして、スタジオで組んでいただきました。一〇年も音楽から離れていたので、どこから手を出していいかわからず、まとめられるものをまとめて、ファンの方に恩返しがしたいと五月ごろにツイートしました。どうしたらいいかなと考えたときに、自分一人ではまとめられるだけの力量がないから、プロデューサーを雇うしかないなと自分の中で結論が出まして。

——それによって、ギターやストリングスが、antihoneyさんお一人で作っていた時とは雰囲気が変わりましたね。

a:他人の手が入ることによって自分の曲ではなくなる、というのを知った上での判断ですが、当初考えていた以上に変化したと思います。

——私はデモ版を何百回と聴いていますが、今回の完成版で初めてantihoneyさんを知った人がどんな感想を抱いたのか気になるところです。

a:私もそれが気になっていて、みなさんあまり感想を仰らないんですね。私から「感想をください」って言わないからなのかもしれないんですけど。みんな黙々と聴いているようで、良いとも悪いともまだ反応がない。たまに「この曲が良かったよ」と端切れのように感想をくださる方はいらっしゃるんですけど、全体の感想もまだ見ないかな。どうやって質問したら良いんだろう?

——みんな黙々とリピートしてるんじゃないでしょうか。

a:だと良いんですけど。けっこう変わってしまったので、「デモ版が好きだったな」という方もいらっしゃいます。愛着があるのと、音の作りもantihoneyらしくて好きだ、ということのようです。「そうなるだろうな」という気はしていました。

——曲全体で見ても細部を見ても、デモ版に比べると明るい曲調になった、と感じた人が多かったようです。

a:印象がガラッと変わることについてはプロデューサーともよく話しました。今回組んだプロデューサーは、普段メジャーな音楽を手がけている人で、私のようなインディーズ音楽には馴染みがないし、あまり肯定的な意見を持っていなかったそうです。「せっかくお金を出して作るのであれば、僕の言う通りにして、明るい曲調にしていったほうが、リスナーさんに届くと思う」、というアドバイスがあり、それもあって全体的なトーンが上向いているというか、彩度や明度が上がるように、プロデューサーさんがしています。

——私は今までのヴァージョンが「デモ版」と表記されるまではそうだと知らず、未完成とは全く思いませんでした。完成している、と言ってよい出来だと感じていたんですね。なので、方針を全く変えて、しかし同じ音楽を作った、というほうが、楽しい結果であると思います。

a:そう言っていただけると安心します。「デモ版を忠実に再現しないと恩返しにはならなかったのかな」と悩むこともありまして。新版でも全く新しいものとして受け止めてくださる方がいることは私にとってとても嬉しいことです。

——聴いた人は、見えている風景がデモ版と違うことを楽しんでいると思います。

a:楽しんでいただければありがたいです。

——デモ版のお話を続けさせてください。曲にもよりますが、ノイズ音、スクラッチ音が目立つというのがantihoneyさんの特徴だと思います。絵画や写真やイラストレーションなどの視覚的な芸術においては、引っ掻き傷を思わせるノイズを意図的に含めることがあります。antihoneyさんの音楽の中のノイズ音には、何か特別な意味があるのでしょうか。

a:その頃はブライアン・イーノなど、アンビエント系の作家の作品を聴いていた時期で、レコーディング中にたまたま入ってくる音を音響効果として活かして作ることが楽しいと思いまして、私もわざわざノイズを後から乗せていました。基本的に私の曲は、自分の中の心象風景というか、内部的に見てている景色をなんとか音に変換しようと作っていたのですが、その頃は荒れ果てた内面の世界が広がっていたので、それが音に反映されているとも言えます。実際には私の曲のジャンルはアンビエントじゃないんですけど、ネットにアップするとき「アンビエント」というタグを付けることがあったのは、そういう経緯があったからです。

——第三者が書いたantihoneyさんの紹介文にアンビエントという単語を見て、「いや、アンビエントではないよな」と思っていましたが、初めはご自身がタグ付けされていたんですね。

a:今でいうならアンビエンス——存在としてのアンビエントですね。ジャンルとしてはアンビエントじゃないけど、アンビエントの雰囲気を醸していきたいです、という意味でタグ付けしていました。

——楽曲内のノイズ音を聴いていると、劇的な効果を上げてもいるのですけど、そうではなくて、基本的な音が持っている圧力を減圧する働きもあるのかなとも思います。文学で言うと、精神科医の中井久夫が、定型詩を書くことは散文を書くよりも自分の中に生まれた意味を減圧できる、と言っていますが、音楽に関しても近いことは言えるかなと思います。日本人が歌の歌詞を日本語という母語で歌わず、(英語には限りませんけど)外国語にする、というのは、その外国語が堪能であってもなくても、母語に比べれば意味がまっすぐに入ってこなくて、意味の減圧になるんじゃないかと。

a:私も同じような考えを持っていたと思います。Cocteau Twinsというバンドが好きなんですが、ヴォーカルがイギリスの方なのに、英語で歌わないんですよ。自分で作った言語で歌を歌っていて、意味はわからないんです。音楽が持っている意味づけを、醸そうとしている方向性から推理することを楽しむような、イマジネーションを掻き立てるような音楽作りをあえてしている。それを聴いていたので、私も、母国語である日本語よりも英語の方が、知らない国に来て知らないものを聴いているような楽しさがあるのではと思ったことがあります。意味の減圧、というのは、そうかなと思います。意味を押し付けるのではなくて、聴いてもらって踏み込んでもらう音作りをしたいなと思っています。

——デモ版の歌は、何人ものファンが歌詞を書き起こしているのですが、歌詞が聴き取れる部分と聴き取れない部分があって、聴き取れない部分はみんなバラバラに書いていたりします。聴く側が踏み込む、というひとつのあり方として、これは成功しているな、と思いました。

a:私もそう思いました。曲の意味を訊かれても、あんまり答えないようにしていました。イメージが固定化されると、その風景にマッチする音楽としてしか聴けなくなってしまうんじゃないかなと思って、あえて解釈や受け取り方はリスナーさんにお任せして、ファンアートを作って頂いたりだとか、色々なヴァージョンで楽しんで頂くことが、私がやりたかったことかなと思っています。

——歌詞が明瞭には聴き取れない、というのは、意図的なものだったんでしょうか。

a:単に下手くそだった部分もありますが、あえて聴けないようにしているものがあります。「Dove」はほとんど聴けないと思います。「中国語ですか?」って訊かれることもあるんですよ。歌詞はありますが、はっきりと言葉に意味を持たせて歌っているのではなくて、雰囲気重視で歌っているところはあります。発音はあんまり重視していないというか、自分でも「なんて歌ったかな?」という部分もあります。

——発音を考えると、antihoneyさんの歌声でしか聴いたことのない英語の発音があります。それがすごく心地いいなと思って聴いています。

a:良かったです。「直したほうがいいよ」って何人かに忠告されました。「デモだからいいさ」という感じで作ってましたが。確かに、実際の英語には存在しない発音もあります。

——それが聴いた人の記憶に引っかかるんじゃないかなと思います。メロディラインや楽器の使い方もそうなのですが、発音がフックになって記憶に残る箇所がデモ版にはいくつもあります。新版では、それが受け継がれているところもありつつ、デモ版とは違う発音にしているところも見つけられたので、そこを楽しんでいる人もいるのではないでしょうか?

a:そういう感想を、誰かぜひ伝えてくれないかなと思ってるんですが。あんまりみなさん仰らない。ツイッターを見てくれている人は多いけど、アクティヴなのは一〇人くらいなのかな? Discordという、ファンの方が用意してくれたチャットサーバーがあり、私も時々ジョインしているんですが、二〇〇人くらいの登録があるうち、実際に話しているのは一〇人くらいで、一見過疎っているような様子です。けれど何か伝えたいことがあって私から全員にプッシュ配信すると反応が大量に来る。実はリードオンリーな人が多いんだなと面白く思いました。

——この歌い方、この音の使い方はantihoneyさんに影響を受けているのでは、というミュージシャンがいます。antihoneyさんの曲調は真似できるものではないので、やはり、効果音や声の使い方の面で、もしや、と思うアーティスには、時々出会う気がします。

a:何という方ですか?

——例えばVirginBabylonRecordのmatryoshkaや……まだまだいるのですが、すぐ思い出せないですね、後ほど名前をお送りしてもいいでしょうか。私がそう感じたミュージシャンは、antihoneyさんが活動を停止する前後の時期に影響を受け、そこから楽曲を作り始めたのでは、と仮説を立てると、タイミング的にも年齢的にもそれほど矛盾しないかと考えています。

a:matryoshkaさんは、muzie時代ぐらいに存在は認識していました。ただ、私は同じジャンルの人を聴かないようにしていました。影響を受けやすくなってしまうからですね。似ているものって、いいなと思うと、その気はないんだけど技を盗んでしまいますから。

——わかります。

a:あえて日本の類似アーティストは聴かないようにしていて、海外の方でもあまり自分と相性が良さそうな場合には聴かないようにしています。もしかすると、お互いそういうところはあるのかもしれません。

——発表するプラットフォームの在り方が変わっているということは、すごく便利だよねと思う反面、五年に業界がどうなっているかわからない、ということを知った上でみなさん利用しているのではないかと思うんですが、今回の再開は、このプラットフォームの変化が追い風になったと言えるでしょうか。

a:その通りです。すぐで自分でオンラインにサブミットできるのがすごく大きかったなと思います。これが複雑なプロトコルだったら、発信は難しかったでしょう。違法配信されているものへの上書きや、その後の自分での発信も。今は恵まれたプラットフォームがたくさんあるので、すごいスピードで乗って行けたと思いますね。

——出版も移りゆきの途中ですが、特に漫画など、出版社を通さず同人誌として出版した方が作家の利益が増えるのでは、と思われるケースもあります。各メディアでプラットフォームは大激動の真っ只中だと感じていますが、良い方向へ背中を押してもらえた、というサンプルはこれから増えていくと思います。今回は、音楽をやめることを考えていた一人のミュージシャンを翻意させるほどに背中を押した、後々多くのアーティストにとって参考になる事例となったのではないでしょうか。

a:そうだと嬉しいですね。

——事前に用意した質問は以上となります。最後に、今後の活動予定と、心象風景とヴィジュアル、ということについて、時間の許す限りうかがえればと思います。カバー曲を作るとツイートされていましたけれども、具体的にお訊きしてもいいですか。

a:二〇〇〇年ごろにトライしていたのと同じで、今の自分に合った歌い方を探しているところで、実験的なことを今年から来年にかけて続けて、もう少し音楽活動は長く続けていこうかなと思っています。まだ昔の、ぶりっ子な子供っぽい歌い方が残っていて……「Dove」なんかはぶりっ子してるんですよね、ああいう歌い方は年齢的にもそぐわなくなっているし、声も少し低くなっているので、新しい歌い方を見つけなければいけないと。自曲でも実験はするけれども、カバー曲でも実験できればいいなと直近では思っています。その上で、自分の音楽や世界観を構築できれば、来年、再来年と活動が続いていくかと思います。

——デモ版に比べると完成版はストリングスが強いですが、デモ版を作っていた時点で、完成形を考えていらしたのでしょうか。

a:いいえ、その時は全く考えていなかったです。今回も、最初はストリングスをそれほど表に出すつもりはなく始めました。ひとつ、ストリングス用に書いた「Adagio」という曲がありまして、あれは、完全にMIDIで再生するよりも、生の楽器で引きたかった曲です。あれだけはオケを雇いたいと相談したところ、「雇うくらいなら、時間を延長して他の曲にも入れたほうがいいのでは」とプロデューサーがおっしゃって、じゃあやってみますか、と進めたところ、思いがけず存在感が出ました。元は私はクラシック出身で、ピアノをやっていたものの、手がちっちゃいので途中で辞めはしたのですが、生オケと共演したいという気持ちはありました。

——デモ版から新しいヴァージョンのタイムラグを含めて聴くと、その時間の経過そのものが物語として醸成されている気もして、それがなおのこと楽しいなと思いました。心象風景、文学作品のヴィジュアルについてメールに書いていただきましたが、視覚的な要素からインスピレーションを受けることが多いのでしょうか。

a:私は物語を読むとヴィジュアルでイメージする方で、文字の刺激を自分の中で景色に置き換えていますし、気分に沿った場所やタイミングやオケージョンで視覚的影響を受けることは結構あると思います。「Siren」という曲は、イギリスを旅行した時に見た海の風景が元になっていますし、今でも、雨傘越しに雨粒を見ていて、それが音楽に聴こえてくることがあります。視覚的な要素からの影響は、内面的にも外面的にもあると思います。

——まったく視覚を介さずに音楽が生まれることはありますか。

a:ありますね、言葉の強さに引き摺られることがあります。何日か前に新曲のデモを出したのですが、それは「call」という言葉をなんとか分解して自分のやりたいことに置き換えられないかと考えて作りました。歌詞の大部分が飾りなのですが、「call」という言葉で歌いたかった、というモチベーションで出来た歌です。でも、刺激の受け方は様々です。何かを触った時の触感で刺激を受けることも。五感を使っていますね。

——それは、インタビュー前に、ご自身にとって重要とおっしゃっていた、宮沢賢治の『春と修羅』も関わってくるのでしょうか。

a:関わってきますね。『春と修羅』って、私の原点のようなものとしてあって……それは、宮沢賢治自身にとってもそうであったので、自己投影の部分もあるのですけれど。『春と修羅』で描かれている風景はすごく音楽になりやすいです。

——初めて宮沢賢治を知ったのは、ご自身の人生の中でいつ頃でしたか。

a:七歳か八歳の頃じゃないでしょうか。両親の本棚に宮沢賢治全集が揃っていて、その下にエンデの本棚があり、そのほかにも室生犀星の詩集などもありました。気付いた時には『春と修羅』を読んでいましたね。ピアノをやっていた頃は、そうした詩集を音楽にしたりしていました。

——エンデについては、ツイッターに『鏡のなかの鏡』の写真を上げていらっしゃいました。今回初めて読みまして、今、手元にあるのですが、これは二〇一九年に読んだ本の中でベストでした。

a:ちょっとお借りしてもいいですか? ……この冒頭、「許して、ぼくはこれより大きな声ではしゃべれない」という言葉は私のテーマになっていて、ウィスパーで歌う時はこの短篇を意識して歌を歌っているので、この本にも刺激を受けています。一〇代の時に読んだのかな。この言葉を歌に置き換えるとどうだろう、と思ってウィスパーにしてみたという経緯があります。

——antihoneyというアーティストの形成に大きく関わる本なのですね。

a:私の歌詞の中には「許して」という言葉がやたらと多いのですけど……「別にそんなに許しを請わなくてもいいんじゃないの」と思いますが……それはこの短篇がこのように始まっているからです。

——あと、「落ちることを学ばなければ」。

a:そうですね。エンデからの影響は大きくて、エンデへのオマージュとして取り入れています。エンデは大好きです。

——エンデというと、『モモ』や『はてしない物語』が有名ですが、antihoneyさんにとって『鏡のなかの鏡』以外に重要なエンデ作品はありますか。

a:『ジム・ボタンの冒険』です。黒人の男の子が世界を汽車で旅して回る、完全に児童向けの本なのですが、今でも大好きで、一年おきに読んでいます。『鏡のなかの鏡』は、若い人向けの、内面をえぐるようなものが多いですが、『ジム・ボタン』には本当に素敵な、優しい世界が描かれていて、それがすごく好きです。

——そろそろお時間です。本日は貴重なお話をありがとうございました。

EDITED BY

森大那

1993年東京都出身。作家・デザイナー。早稲田大学文化構想学部文藝ジャーナリズム論系卒業。2016年に文芸誌『新奇蹟』を創刊、2019年まで全11巻に小説・詩・批評を執筆。2018年にウェブサイト&プロジェクト『彗星読書倶楽部』を開始。2020年に合同会社彗星通商を設立。

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