【1日1読】ル・クレジオ『物質的恍惚』
一人の人間が包含している悲惨さ、弱さ、凡庸さを知ること、それこそ真の教養だ。
この一節は、「読書をした、学んだ、ということは重要ではない。」と続きます。
社交ゲームで気の利いた一言を言うためだけに憶えた知識、体験、そんなものばかり自分の中に蓄えて、何かを知った、何かを体験したことになどならない、と、エッセイは語ります。
フランスの作家ル・クレジオが1967年に発表した『物質的恍惚』は、本人はエッセイと呼んでいるものの、時に抽象的、時に極度に具体的な思考で埋め尽くされており、ちょっと似た書物がありません。
極めて難解な本です。が、それは、ここから生み出されるものがまだまだいくらでもある、と言うことを意味します。
「シェイクスピアを読むこと、ミゾグチの作品を知ることも、また重要である。けれどもシェイクスピアを読んだりミゾグチを見る者は魂のすべてをあげてそうしてほしいのだ、単に教養のスノビズムに犠牲をささげるためではなしに。」
芸術や教養は、究極的には、自分のためのものと言えるでしょう。自分の基礎を形成するための作品が、事実が、発見が、ひとつでも見つかれば、それで充分なのかもしれません。
悲惨さ、弱さ、凡庸さ。それを知ることこそが、人間を次の行動に駆り立てるのです。