吉本ばなな「キッチン」

『彗星読書倶楽部&婚活読書会』レビュー&吉本ばなな「キッチン」についてのある解釈

結婚サポーター江口菜美さんとの共同企画『彗星読書倶楽部&婚活読書会』、無事終了いたしました!

すでに読書会に馴染みがあるという方から、普段読書に馴染みがない方まで、9名の方にご参加いただきました。

皆さんに事前に読んで来ていただいたのは、作家・吉本ばななの短篇小説「キッチン」。
読書会2時間のなかで、参加者の普段の「生活」「日常」について様々な角度から話題にするのに適した小説は? と考えたときに、親族全員が死んでしまった大学生みかげが、赤の他人の家で新たな生活を始める様子を一人称で描いた本作がいいのでは、と提案された作品でした。

みかげにとって大切な場所がキッチンとあり、まずは皆さんのキッチンのこだわりを聞いたり、みかげと共同生活をする青年・雄一の印象を話しあったり。
いつものように、参加者の発言から自然と話題が拡大していくことも多く、やはり「キッチン」は最適だったと思いました。

とはいえ、これ以上詳しい内容は、その場にいた11人だけの秘密。
今回の参加者同士で良いつながりができるのを心から楽しみにしています。

(そして、彗星読書倶楽部の読書会やイベントに参加していただけるとなお嬉しいです……!)

「キッチン」についてのある解釈・一人称の不自然さ

参加者の皆さんが緊張されながらもたくさんお話を聞かせてくださったおかげで、私が事前に用意して来た弾(単なる質問のことですが)はほとんど隠したままでした。
読書会の司会者としては、これが理想的なんですけれど!

用意していた質問は、たとえば、
「初めて会った人と、時間も忘れて深夜まで話し込んでしまったことは?」というものがありました。

みかげが初めて雄一の、そして雄一の母(父だけど)えり子の家に来た夜、みかげと雄一はビデオをかけながらもお互いの話が尽きず、夜中の1時まで会話を続けるのでした。
私なんて、初対面の人とそうなることもしょっちゅうなタイプなのですが(聞上手と言われるけど相手が良いからだ)、もちろんそうした距離の近づけ方を嫌う人もいるでしょう。
どんな風に話すのがいいか。相手が信頼できると判断する第一歩はどこか。
そんなことを想像するタネが、この小説にはたくさん含まれているように読めますよね。

ところで、会の途中で気づいたことですが、ちょっと専門的な角度なので、言わないでおこうかな、と隠していた考えがあります。

私がこの小説の一人称の叙述に感じていた違和感の理由を、ひとつ考えたのでした。

この小説は、みかげを描いた小説ではなく、登場人物であるはずのみかげが自分のことについて書いた一人称小説なのではないか、という読解です。

これに気づいたのは、私自身が「みかげと雄一の会話、うまくいきすぎてません?」と発言した瞬間でした。
そういうコンセプトの小説なのだ、と言えばそれまで、ではあります。
また、みかげの考え方が柔軟で、いつも根本は優しさで満ちており、それゆえか、時に鋭い分析で相手の本質に気づくことさえある、というポイントは参加者からも話題にされていました。
傍目から見てもちょっと変わった独立心を持つ雄一と、柔軟なみかげ。そこが本作の魅力でもある。
ただ、そう考えては面白くない。

なにか、もっと大掛かりなウラがありそうな匂いがしました。

もし、もう1つの「キッチン」があるのなら

違和感を最初に感じたのは、冒頭部。

私、桜井みかげの両親は、そろって若死にしている。そこで祖父母が私を育ててくれた。

まるで、読者の存在を意識し、自己紹介をしているようです。
これは、続編「満月」の冒頭部でも同じ。
通常、一人称小説の語り手は、虚空に向かって語っています。
読者に向かって語っているわけではない。作中人物に向かって語っているわけでもない。
もちろん例外的作品は探せば見つかりますが、近代の発明品である「小説」なる文章形式においては、これが暗黙の了解のように引き継がれて来ました。
デビューしたての作者の技量の問題で、説明的文章の量を圧縮するために採用された書き方であったかもしれません。

では、終盤、バスの車窓から飛行船を眺める一文はどうか。

しかし、気づくとほおに涙が流れてぽろぽろと胸元に落ちているではないですか。
(…)
そして、自分の荷物にはさまれて、暗がりでかがんで、もうわんわん泣いた。

「落ちているではないですか
もうわんわん泣いた」
この書き方は、ちょっと固く文法用語を使うなら、明らかに読み手を意識した疑問の終助詞と、分量が基準を超えることを意味する副詞ではないですか

この、みかげと読者の距離がところどころで急接近し、すぐになんの変哲もない一人称に戻る”記述の運動”に、読者は共感を覚えるに違いありません。
シンパシーでこの作品の魅力を掬い取ろうとする人は、ここになんの疑問も持たないことでしょう。

しかし私は、別の可能性を考えます。

この小説には、2つの世界がある。
1つは、みかげ(と名乗る誰か)=語り手が存在する世界。
もう1つは、この語り手が「書き手」となり、書いた小説(の世界)。
私たちが読んでいるのは、後者にすぎない。
「書き手」にとっての現実は、小説とは別にある。

仮に、と、あくまで創造的に、私たちには知りようもない前者を想像してみましょう。
現実の世界では、みかげも、雄一もいる。
しかし、小説の世界ほどうまく会話や出来事を処理できていない。
情緒の面で、祖母の死を、えり子の死を処理できていない。
だから、「こうできたらよかったのに」「こうなればいいのに」を、小説にした。
だから、ついみかげ(と名乗る誰か)の手は、読者の存在を意識した。

現実の世界は、「うまくいかなかった『キッチン』」。

一度それを前提に読み返すと、本作は、痛みとともに読めてしまう文章に様変わりします。
お互いの感情の機微を、汲み取ったり、無関心っぽく装って受け流したり。
それは、どんな失敗をもとに作られたのか。
みかげは、今、どうしているのか。

そのみかげのシルエットは間違いなく、私たちのそれと重なります。
「あの時、どうしてこの言葉が出てこなかったんだろう」
「よくよく考えれば、もっとうまいやり方がいくらでもあったのに」
と、読者が日常で事後的に想像する世界は、小説「キッチン」の存在意義と同じになる。
私たちは、自分の「キッチン」を日々書いている。

……なんてオチを作ってみましたが、これを採るかどうかはお任せしましょう。

読書会は異分野との高い親和性を持つ

もともと読書会は、立場も考えも違う参加者が、同じ1冊の本を共通点に出会い、話し合うところに最大の魅力があるアクティヴィティです。

婚活のように、ある定まった目的を持つ場に読書会を導入するのは、私としては初めてでしたが、いつもの読書会とはまったく違う新鮮さを体験し、この数時間を思い返すだけで、読書会の可能性を大いに拡大できると思いました。

これまでは、書店からの依頼で店内での読書会を開催することはありましたが、今後はもっと……もしかすると思いもよらない分野と手を組めるでしょう。
ご要望があれば、Contactページ、あるいはTwitterなど各種SNSのダイレクトメッセージからどうぞ!
それよりも、私から提案してしまうことの方が多いかもしれませんが……!

EDITED BY

森大那

1993年東京都出身。作家・デザイナー。早稲田大学文化構想学部文藝ジャーナリズム論系卒業。2016年に文芸誌『新奇蹟』を創刊、2019年まで全11巻に小説・詩・批評を執筆。2018年にウェブサイト&プロジェクト『彗星読書倶楽部』を開始。2020年に合同会社彗星通商を設立。

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