この新しい地獄で、書物を愛する人にできること

(以下の文章は、いつもの私の文体とは違う文体で書かれています。とはいえ、いつも私が考えてきたことと、大して離れていません。)

書店を支えるためのクラウドファンディング『Bookstore AID』が始まった。

本屋さんを支えよう!!
ブックストア・エイド(Bookstore AID)基金

新型コロナウイルス感染症拡大による緊急事態宣言が全国に発令され、出口のみえない外出自粛要請と休業要請の日々の中で、全国の書店・古書店を支援するため、有志で立ち上げたプロジェクトです。

https://motion-gallery.net/projects/bookstoreaid

私がここにファンドするかどうかは、書かない。今これを読むあなたに、何らかの誘導をしてしまうことを避けるためだ。
ただ、これで、書店が回復するための時間を作れるといい、と思う。

書店を守る、ということについて、日常的に本を読む消費者の私たちにできることは何か?
金銭を出す。それ以外には無い。
では、書物そのものを守るためには?
今あるものを持っていればいい。必要なものは買えばいい。
では、書物をめぐる業界は、これでなんとかなるか?
わからない。どこにどれだけの経済的ダメージがあるのか、まだわからない。出版社は。著述家たちは。各方面の回復は早いと見込めるか、再起不能を覚悟すべきか。わからない。
では、読者がより主体的にできることは、何かないものか?
ここまでのプロセスには、業界の経済状況とは別に、読者が本を「使用する」プロセスがない。
本を「使用する」かどうかは、売買の後の問題で、読者に委ねられている。
それは、本が著者から読者にわたるまでの流れを守る上で、不要なプロセスではない。
その本が必要である、という声が多いほどに、書店も、出版社も、著者も、動きが取りやすくなる。
ならば、次の問いは何か?
読者の思考の形成。
書店や出版社と救おうとするのではなく、これまでと同じように、個人の暮らしを守りながら、苦しいことに耐え抜きながら、他の誰かのものではない自分のための幸福を探しながら、考え、生活してゆくための、私たちの、思考の形成。
これは、これまでもそうであったように、書物を用いた手仕事だ。
だが、状況は今までと異なる。
今、私たち一般読者に使える知は、図書館・書店が閉まった事により、範囲が限られている。たとえ大量の蔵書を持っていたとしても。
図書館・書店の閉鎖とは、つまり、「自分がまだ見ぬ知のネットワーク」へのアクセスの一時的遮断なのだ。
「いつでも開けられる」と知っていた扉が、今、開かない。
今こそ、手元にある、限られた材料を最大の入力にし、最大の出力を試みる時だ。
最大の出力は、他人に向かって発信するだけではない。自分に向かって出力するだけでもいい。

「あなたはまた本の話をしている。それしか話題がないのか。社会はそれどころではない。本は遅い。」
分かっている。それもまた正しい。
隣の家でDVが、虐待が行われていると気づいたら。
友人からLINEがあり、金が底をついた、家を追い出された、食べ物を買う金も残っていない、と言われたら。
発熱した、と送られてきたら。
いや、あなたこそがその当事者であったなら。
その時、書物の話などしている場合ではない。あなたは本になど目もくれず、手の震えを押さえつけ、全力で行動を始めるだろう。

その時、あなたの行動を発火させ支えるものは何か。理性を支えるものは何か。微かだが重大な何かに気付かせるものは何か。
過去のあなたの経験と、今のあなたの知恵だ。
書物に、前者への介入はできない。書物は、後者を作る。

しかし、それでもなお。
あなたの読む書物が、未来であなたを救い支える保証は全くない。
「何事もムダにはならない」というよく使われる言い回しは、あなたを勇気付ける。
しかし、それは保証ではない。
では、書物に何ができるというのか。
これは、真に重大な問いではない。真に重大な問いは、こうだ。
読む者には、何ができるというのか。
書物は、あなたに気付かせる。何を? 何かを。私が予測できないアイディアを。
書物にできるのは、そこまでだ。
あなたは、気付いたこと、知ったこと、感じたこと、それを、いくつものひとかたまりにし、いつでも取り出せるようにしておくとよい。人に伝えられるようにするとよい。
文字で書き残すことは、有効だろう。もっとも、必須ではない。
また、書物が手元になくてもいい。あなたの記憶もまた、書物だ。
いくつものひとかたまりにし、いつでも取り出せるようにしておくとよい。人に伝えられるようにするとよい。
過去の無数の書物の、無数の著者が、そうしてきたように。
そして、歴史上のほとんどの書物と著者が無名であったのと同じように、あなたも、無名のまま生涯を終えるが、無名のまま誰かを救うだろう。
そしてきっと、誰かを救ったとき、あなたは、書物のことなど、とっくに忘れているだろう。
それでいい。そのようにして、書物は世界に機能する。
そのようにして、誰にも気付かれはしないままに、書物はあなたと勝利する。まさに、これまでそうであったように。

私は、何ひとつ、希望的観測は記していない。
この新型ウイルスの災厄から未来の世の中が大きく変わる、などと、予測を書いたわけでもない。
ただ、過去の事実と、今日の私たち「読む者」がするとよいであろうことを、書いただけだ。

この文章は、特定の行動を強いるものではない。強いることは暴力の一種であり、また、私はその暴力に何の有用性も見出さないわけではない、しかし、ここで強いることはしない。

隣の家でDVが、虐待が行われていると気づいたら。
友人からLINEがあり、金が底をついた、家を追い出された、食べ物を買う金も残っていない、と言われたら。
発熱した、と送られてきたら。
いや、あなたこそがその当事者であったなら。
どうする。
書物を愛する私たちは、そのように問題と直面する。
どうする。

EDITED BY

森大那

1993年東京都出身。作家・デザイナー。早稲田大学文化構想学部文藝ジャーナリズム論系卒業。2016年に文芸誌『新奇蹟』を創刊、2019年まで全11巻に小説・詩・批評を執筆。2018年にウェブサイト&プロジェクト『彗星読書倶楽部』を開始。2020年に合同会社彗星通商を設立。

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