「総記」を愛してるから語らせてほしい
図書館には「総記」の棚がある。
総記が大好きだ。
でもほとんどの人は、ソーキと聞けば、沖縄のソーキそばしか思い浮かべないだろう。
ソーキそばは、味があっさり過ぎて好きじゃないから、あんまり話題にしたくない。
話したいのは、図書館にある「総記」のことなのだ。
図書館に行くと、本の背表紙の下に、謎の番号が書かれたシールが貼ってある。小学校でもどこでもいい、図書館と名のつくところを利用したことがあるなら、それは誰にでも記憶にあるだろう。
あれは、NDCという、日本独自の書籍分類番号なのだ。
本はその内容の種類によって、番号で分類されている。
「図書館の本って何を基準に並んでるの?」って考えたこと無い?
これがその正体だ。
Nippon Decimal Classification=日本十進分類法。
(どうでもいい知識だけど、これは役人が作った分類法じゃなくて、1928年に図書館用品の商社で働いていた22才の森清という人物が、アメリカで採用されていた分類法をもとに独自に作ったものだ。)
総記は、知識への入口。
NDCには、0~9番まである。
その0番が、「総記」と呼ばれている。
1は哲学、2は歴史。ラストの9番は文学。
じゃあ総記ってなんなのか。
なんと、定義上は、「1~9番に該当しない書籍」ということになっている。
なんだ!? 掃き溜めか!?
とお思いのみなさま、その側面がゼロとは言いませんが、実際は違うのです。
試しに図書館へ足を運び、0番の棚を眺めてみましょう。
情報学。
読書術。
出版業界にまつわる本。
編集・編集者が書いた本。
図書館学。
博物館学。
いわば、書物をメタ的に扱う書物。それが「総記」と呼ばれるカテゴリーに分類されているのです。
もちろんそれだけじゃないけど、もうちょっと正確にまとめると、総記に並んでいる本は、知識への入口の役割をになっている。
中学生から上級公務員まで、あらゆる知的レベルに属する人のための入口だ。
ちなみに、総記で見つけた本の中で、なんだかんだ特に面白かったのは、この1冊。[amazonjs asin=”4822274373″ locale=”JP” title=”池上彰の教養のススメ 東京工業大学リベラルアーツセンター篇”]書店ではどこに並んでるんだろう、アマゾンの分類通り、ビジネス書なんだろうか。
初心者向けと思うなかれ、「教養」「リベラルアーツ」について、よくまとまったノートとして読める。
(本当は、百科事典、ある種の全集、叢書、雑誌・新聞も総記に入るけど、こういったものは別の棚にまとめられていることがある)
(と、パソコン関係の本も総記に並べられることになってるけど、これが実際に図書館にあるかどうかは、けっこう、場所によって異なる。中には全く無い図書館もあるよ。)
総記、という名の自由。
さて。
なぜ僕が「総記」を愛しているかというと、
ここには自由があるからなのです。
哲学、自然科学、芸術、というカテゴリーにひとつの書物を入れてしまうと、どうしても、その書物は人間に対し「役割」を演じることになります。
哲学の本なら、哲学の正当な歴史と伝統のコンテクストのなかで機能しろ、と。
しかし、人間の思考、観念操作は、分類法ではカヴァーできないほど柔軟です。
総記の本たちは、情報そのものの取り扱い方を議論し、図書館の中で一番、そして、常にざわめいています。
だから、人間とはこれまで何を考えてきて、今は何を考えている生き物なのか、それを俯瞰して知りたくなったら、総記の棚に行けばいいのです。
その棚は、人間をいつでも受け入れてくれるし、僕らに挑戦してくる。
僕にとっては、とても高い抽象レベルで癒やされながら、同時に戦力の経験値を上げるための道場にもなる場所なのです。
Photo by Sylvia Yang on Unsplash