『Interviews vol.1』
「仕事」としての「詩人」?
吉増剛造さんへのインタビュー
今月発売予定の私の新刊『Interviews vol.1』。
そこには、自ら会社を設立して新たな仕事を始めた私が、「仕事」をテーマに、どうしてもお話を聞きたかった3名の方へのインタビューが掲載されています。
今回は、それぞれのインタビューから一部を抜粋、先行公開します。
三人目は、日本を代表する詩人・吉増剛造さん。
1964年のデビュー詩集『出発』以来、詩のスタイルや表現方法を幾度も変えながら、言語芸術の最先端に居続ける吉増さんは、「詩人は職業ではない」と、デビュー当時からノートに記しており、発言もしています。
しかし私は、「言葉を創造する詩人は、特別な仕事ではないだろうか」と常々考えてきました。
なぜ、「詩人は職業ではない」のか。
私は、ご本人に直接うかがうことにしました。
関連リンク:
『声ノマ 全身詩人、吉増剛造展』東京国立近代美術館アーカイブページ
https://www.momat.go.jp/archives//am/exhibition/yoshimasu-gozo/index.htm
YouTubeチャンネル 吉増剛造 gozo’s DOMUS
https://www.youtube.com/channel/UCiSexx2GYYS_JAYlpt8n5Kw
撮影:ひらはらあい
詩人と名乗ることの「恥ずかしさ」
森:今回作る本は、仕事についてのインタビュー集です。お一人目の香雅堂の山田さん、お二人目のINKIMONOの松本さんは、どちらも伝統的な世界で、現代の価値観に即したプロダクトやサービスを作っています。もっとも、このお二人を選んだのは、全くの偶然だったのですが……。そしてお二人のインタビューを終えたとき、ふと、吉増さんのお名前が脳裏に浮かびました。あとづけの理由を考えるなら、吉増さんも、詩という、文字の歴史五〇〇〇年と同じくらいの伝統を持つであろう芸術において、従来あり得なかった表現方法を作り続けています。そこで、「仕事」という文脈における「詩人」について、お聞きしようと思いました。
日本語で仕事と言うと「職業」とイコールに考えてしまいがちですが、英語でlabor・occupation・workと分けて考えるとき、「詩人」はworkであろうと思います。また、文学を学んだ私の贔屓もありますが、新しい言葉を作る詩人の作業は根源的な仕事であると感じています。しかし吉増さんは、「詩人は職業ではない」と、度々語られてきました。まず最初に、その理由を伺えますか。
吉増:今、お話を聞きながら、「仕事」という言葉を改めてお聞きしたときに、テレビの時代劇『必殺仕事人』を思い出しました。請負殺人集団の話ですが、職人の世界の人が、違う世界で狂気を見出していく……あの「仕事人」という発想、誰が考えたのか知らないけど、あれはなかなか面白いなと、森さんのお話を聞きながら気がついてきました。「職業」と言う時に出てくる概念と、「職人」「仕事人」から湧いてくる概念はだいぶ違う。「仕事人」とか「仕事師」と言うとき、もう少し広い意味での、深い意味での、職業の手元性みたいなものが出てきます。森さんや私のようにものを書く人たちは、手先指先の表現をしていますが、そこには書や絵や彫刻や音楽と結びついている回路があり、そこから考えていくときに、写真家だとか小説家だとか画家というのは「家」という字がついていて、それぞれがひとつの明治以来の概念になっているけれども、「詩人」というのは珍しい言葉の姿であって、詩人だけが少し宙ぶらりんの存在として掴まえられている。
それを、森さんのお話で解いて行き始めると、「家」が付く、分類された近代的な概念からは外れたものとしてある「仕事人」あるいは「詩人」には、外れたところでいきいきしてくる言葉の働きが感じられます。
「詩人」は、歌人・俳人とは違っていて、同じく「人」がついているけれども、歌人・俳人は伝統的なところに属しているのに対して、詩人はおそらく非常に古いものと非常に新しいものが両方からぶつかっているところがあって、少し外れたところに属している。その捉えどころの無さと、なんとも言えない「恥ずかしさ」、言い当てられなさ、枠から外れてしまうところ、その微妙さを保持しながら、「詩人」と言われるたびに恥ずかしいと思う、そうしたことが持続していて、「詩人は職業じゃありませんからね」と言うとき、「職業」というより「詩人」という言葉のほうに、非常に微妙な心の揺れの痕跡があるのね。
森:私も小説だけでなく詩を書いて本に載せることがあるので、詩人と名乗ることもありますが、小説家と詩人、この二つの肩書には明らかな違いを感じます。この恥ずかしさの根本的な理由はなんでしょう。
吉増:なんでしょうね……西洋でも「poet=詩を書く人」と言いますが、これは自分で決して称してはいけないもので、口が裂けても「I am a poet」なんて言ってはいけない︱︱そんなことを西脇順三郎さんが言ってたけどね、聞いた相手はわざと「What did you say? You said “I am a porter”?」なんて聞き返す。世の古今東西を問わず、poetと自分を称してはいけないのだと言う根源的な恥じらいがあって、職業と詩人を結びつけることには、危ないというか、この二つは水準が違う概念である……お話を聞きながら、少しわかってきました。
森:詩を読む習慣がない人や、書いたことがない人に、この恥ずかしさを理解してもらうのは難しいかもしれません。けれど、美術館の語源であるムセイオンの女神たちが、詩をはじめとする文芸の女神であるように、詩や詩人をとても重要なものとして、評価してくれる人々が必ずいるわけですよね。
吉増:西洋ではオルフェウスも出てきますから、音楽の起源との関係があります。言語は音楽と詩を離れがたく持っています。詩人は、音楽家や演奏家や歌い手になるのではなく、始原的なところにオルフェウスみたいな「詩人」がいる。おそらく無意識のうちに、誰しもがそれを感じているんですね。あやうい、……「聖化」をされてしまいそうな怖さと恥ずかしさはそこからも来ているのね。
ウェブ上で公開するのはここまで。
全文は、2021年3月発売予定の『Interviews vol.1』にてお読みいただけます。
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