人文学を味方につける

人文学とは何か

人文学って何だ?

大きめの書店に行くと、「人文書」というコーナー名が書かれていることがあります。
これは「人文学」という学問の分類のひとつが由来です。
文学、歴史学、哲学、宗教学などが「人文学」とされていて、「人文書」は、そうした学問領域の本を指しているのですね。

学問の分類を調べてみると、
社会科学・自然科学・人文科学の3つで分類されているのをよく見かけます。
しかし不思議なのは、日本の図書分類法であるNDCには社会科学と自然科学があるのに、人文科学がないことです。
それに、人文科学と人文学は同じなのか、違うのか。
はっきりしないことが多い。
まあこのサイトでは、ひとまず人文学と呼んでおきましょうか。

それでは、人文学とは何か、と問われると、これに答えるのは難しい。
西洋語の日本語訳なので、その由来を知るためには、どうしても、日本人の書いた文献だけを読んでいては限界があります。
今回は、各種事典や辞典を使いながら、「人文学」という概念を調べていきましょう。

「人文学」の語源

百科事典で、人文学、あるいは、人文科学、と調べると、項目はあっても説明がなく、矢印が引いてあって、ほぼ確実に
ヒューマニズム
という項目に誘導されます。
岩波書店の思想哲学事典、平凡社の世界大百科事典は足並みをそろえて、
ニューマニズムは博愛主義(人道主義)と人文主義の二つに分かれると書いています。
探していたのは後者ですね。

ここで、その歴史を後回しにして、語源を探ってみましょう。
まずは英語。最も権威ある、オックスフォード・イングリッシュ・ディクショナリー(通称OED)には、単語の歴史と用例が載っています。
humanity」を引くと、第4の意味として、次のように書いてあります。

Learning or literature concerned with human culture : a term including the various branches of polite scholarship as grammar, rhetoric, poetry, and esp. the study of the ancient latin and Greek classics.
人間の文化に関する学習または著作物。また、文法、修辞、詩、特に古代ラテン語とギリシャ語の古典のような教養科目を指す語。

さらに、次のような説明が続きます。

This appears to have presented L.humanitas in the sense of ‘mental cultivation befitting a man, liberal education’,as used by Aulus Gellius ,Cicero, and others; hence, taken as=literary culture, polite literature, literal humaniore; but it was very often, in scholastic and academic use, opposed to divinity, as if =secular learning.

ここに書いてある内容は後ほど日本語でほぼ同じ文章が見つかりますので、日本語訳は省略!

「人文主義」の歴史

先の百科事典を読むと、その起源は古代ローマにさかのぼることができ、当時は自由市民(奴隷では無い市民)にふさわしい学問のことを指していた、と書かれています。
これが、ヨーロッパの歴史上に出現する第1の「ヒューマニズム」。
問題はこの後で、ヨーロッパの歴史上、少なくとも2回、時を隔ててこの語が登場するのです。
2度目の出現地はイタリア・ルネサンス。ここでは、硬直化したキリスト教世界に対抗するための古典研究として。これは、高校の世界史の教科書に書いてある通りの意味ですね。
3度目は、1808年、ドイツの教育者ニートハンマーが、当時の高等教育の実用主義に反対し、人間形成における古代ギリシア・ローマの古典教育を重視した。この時「humanismus」という単語が創設された。
おそらく、この3度目の「ヒューマニズム」が、今日の大学で「人文(科)学」という区分けが使われる際の直接の由来でしょう。

しかし!
ニートハンマー以降の「ヒューマニズム」がどのような経緯をたどったのか、明確なことを教えてくれる資料がありません。
『歴史学事典 11 宗教と学問』(弘文堂)の382ページに、こんな記述がありました。

(前略)18世紀から19世紀にかけて、政治学・経済学・法学がいずれも固有の領域と方法を確定して、社会科学が実質上、誕生した。これらは、かつて一般的な学問の名において人文主義に包摂、もしくは近接していたのであるが。ここに、自然科学と社会科学という、ふたつの科学分野が自立するにいたる。人文科学は、こうした展開のなかで、自己の存在を再認識せざるをえない。(中略)人文科学の名称は、なしくずしの様相をもって認知された。その定着は、たかだか20世紀のなかば以降である。
(太字は管理人)

これを読むに、自然科学・社会科学という分類が先に確たる名称となり、ここに属さない、残された学問分野が人文科学、という扱いになったのでしょう。

「フマニタス」のおそらく最古の出典

さらにもうひとつ、『現代学校教育事典』第4巻(ぎょうせい)の274ページ目の記述が、OEDの詳しい解説をコンパクトにまとめたものでした。
これによると、ヒューマニズムの原語humanitasは、2世紀にアウルス・ゲリウスによってギリシアの教養概念である「パイデイア」に対応するラテン語として示された「フマニタス」に関連している、とのこと。
ゲリウスの著作の出典も書いてありました。「XIII 17」と書いてあるので、それに該当する箇所をペルセウス・デジタル・ライブラリーで探すと、見つけました、このページです。

http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:2007.01.0072:id=v2.p.457

“education and training in the liberal arts.” Those who earnestly desire and seek after these are most highly humanized. For the pursuit of that kind of knowledge, and the training given by it, have been granted to man alone of all the animals, and for that reason it is termed humanitas, or “humanity.”

と、確かに書いてありますね。

人文学をまとめると

さて。
「ヒューマニズム」の歴史を見てみたところで、その末裔として「人文学」という単語があるのだと考えてみましょう。
これまでの話から、次のことが言えそうです。

・人文学とは、自然科学でも社会科学でもない学問のことだ

・人文学とは、ギリシア・ローマ古典文献を読むことだ(った)

・人文学とは、精神の修練だ

しかし、これはあくまで古代ローマ〜19世紀初頭のドイツまでの話。
現代日本では、ギリシア・ローマ古典と関係のないことでも「人文学」と呼びますよね。
ということは、時間の流れの中で意味が変わったということです。

おわりに:人文学のいま

繰り返しになりますが、
以上の定義は、歴史的経緯と辞典を参考にした説明です。
それは言い換えれば、その程度の説明でしかない、ということです。
起源へとさかのぼったからといって、21世紀を生きる私たちが当初の意味を守る必要があるわけじゃない。
今となっては、学問の分類のひとつ、それもかなり曖昧な分類のひとつとして私たちは使っていて、そこに別の意味を与えることだって可能です。

さて、こうなるとひとつ、言いたくなることがありませんか。
西洋の、しかも限られた地域で育成された概念である「人文学」を、日本で学び、日本で研究する意味があるのか。
もちろんあります。
20世紀に入り、全大陸が通信技術で接続され、西洋の知識人が西洋批判を展開したことで、学問の世界での西洋人優越は、それなり解除されました(まあとは言え全然残ってると思いますが)。
それにより、言語や意味というものにも、すぐには把握しきれない変化が全世界スケールで生じたようです。
日本の大学で人文学という語がいつ採用されたのかは置いておくとして、アジアの国々の言語や歴史や思想を扱うことも人文学の一部という扱われ方をしています。
「人文学」が学問分類のひとつであると看做されるならば、それで正しいのです。

humanities(humanity)という語が人文学という日本語として使われたことで、ヨーロッパ語として生まれ育成されてきの「ヒューマニズム=人文主義」は、元々の意味が切り捨てられ、事実上、新たな意味を獲得したというわけです。
日本語を第一言語とする私たちが、
日本語文献を読み、
日本語の古典を読みながらも、
外国語を学び、
文化を比較し、
世界中あらゆる地域の歴史を知りーー
つまり、自国と他国の垣根を超えて、過去の記録を読み、現在を分析し意味を与え、その結果としてわずかずつながらも未来を創り出してゆく。この作業こそが、今日「人文学」という単語が担う意味です。
おや、それはもはや、自然科学にも社会科学にも適用できそうな考え方ですね。
そうです、人文学を定義すればするほど、人文学の思考は「人文学」という区分けに収まりきらず、自然科学の中にも社会科学の中にも成立しうるのです。
あの3分類は、時代の経過でなしくずしに出来上がった分類に過ぎず、人文学の思想は、どんな分野に運び込んでも、その根幹を支えることになるのです。
これこそ、私たちが人文学を学ぶ理由です。

人文学が武器になるか盾になるかは、どの分野を、どのように学ぶかによるでしょう。
また、「フマニタス」という語にも、実はある落とし穴があるのだ、ということを、下のページに書きました。姉妹編としてお読みください。

[blogcard url=”https://suisei-trade.com/membership.suisei-trade.com/learning-humanities-2/”]

そのほか、参考になるかもしれない文献:

『人間科学研究Vol.28,No.2(2015)(特集 人間科学とは何か 早稲田大学人間総合研究センターシンポジウム報告) 人間科学の歴史的パースペクティブ』加藤茂夫著
URL:https://core.ac.uk/download/pdf/46895620.pdf

EDITED BY

森大那

1993年東京都出身。作家・デザイナー。早稲田大学文化構想学部文藝ジャーナリズム論系卒業。2016年に文芸誌『新奇蹟』を創刊、2019年まで全11巻に小説・詩・批評を執筆。2018年にウェブサイト&プロジェクト『彗星読書倶楽部』を開始。2020年に合同会社彗星通商を設立。

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