メモ魔になったのはダ・ヴィンチがきっかけだった
メモ魔は得なことしか無い
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メモ魔として生きて実に得をしている。
過去に見たものや考えたことを再生できるというのは、人生の時間が倍になった気分になる。
それに、過去の自分が、今の自分よりもはるかに質のいいアイディアを生み出していることもあって、過去の自分自身を味方につけているとも言える。
紙は僕らのもっとも身近な外部記憶装置なので、「そんなにメモに頼っていると、素の頭の記憶力が落ちる」と考える人も、まあなかにはいるんだろうけど、もともと記憶力が低いので、外部ストレージはメリットばかり実感している。
突然ですが、メモ魔あるある。
1、手近にある紙なら何でも使ってしまうので、整理が追いつかなくなる
2、展覧会の期間などを記録したのに、読み返したときには過ぎていて、「あっ、これはもう少し早く読み返したかった!」ということがある
それでも、この習慣をやめられるかというと、やめて良くなることなんかひとつもない。
もっとも、メモ魔と呼ぶべき人々は、なんでもかんでも書き残しているわけじゃない。
自分の中に記録すべきことの選択基準がなんとなく存在していて、無意識に選り分けている。
メモ魔は一朝一夕でなれるものでは無いと思う。
メモ魔になったきっかけがある
ところで、僕がメモ魔になったきっかけはふたつある。
ひとつはクリストファー・ノーランの映画『メメント』で、たぶん観たのは中学生の時だったと思うけど、殺害された妻の仇討ちの旅を続ける主人公は健忘症を患っていて、作中とにかくメモを書き残し、特に重要な事実は身体にタトゥーで刻みつける。
孤独でありながらひとり戦うガイ・ピアースがあまりにかっこよくて、たぶんその日のうちにまねし始めたんだったと思う。
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でも、これが本当に最初のきっかけだったかというと、記憶は曖昧で、もっと前からだったかもしれない。
ダ・ヴィンチの影響力はすさまじい。
そのもうひとつの可能性というのは、小学生の頃に、さんざん流行った『ダ・ヴィンチ・コード』と、その関連本を読んだことだ。
ダ・ヴィンチはメモ魔だった。
有名な話だけど、普通の字ではなく、鏡に映したときに初めてよめるように文字を反転させて書いていた。アイディアを盗まれないようにするためだった、というのが定説となっている。
とにかくあらゆることを手帳に記していて、日本語では、杉浦明平が部分的に訳したものを岩波文庫で読むことができる(ただし漢字は旧字が多くて、読者に親しまれない原因になっている。これはぜひとも新字体にあらためて再販すべきだ。)
で、先日、初めて梅棹忠夫のロングセラー『知的生産の技術』を読んだら、第一章で驚いた。梅棹が手帳をつける習慣を獲得したのは、高校生の時分に、メレジェコーフスキーの『神々の復活』という小説を読んで、その主人公がダ・ヴィンチだったことがきっかけで、彼の記録癖を知り、それに魅せされたという。
グッとくる一節がある。
「とにかくわたしは、この本をなかだちにして、レオナルド・ダ・ヴィンチから「手帳」をもらったのである。」
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ダ・ヴィンチから”手帳をもらった”、か。
これは正確には「手帳という方法をもらった」ということなんだけど、いや、梅棹の表現が最高にいい。
僕も、ダ・ヴィンチから「手帳を譲り受けた」ひとりだ。
『神々の復活』に感化されたのは梅棹ひとりではなく、マインドストリーミングの方法「KJ法」で有名な川喜田二郎も、そのひとりだったとのことだ。
この習慣には、妙な魅力があるらしい。
つい真似したくなる。
普通に考えれば、誰でもすぐに始められて、すぐにメリットを実感できるからだろう。
でも、なにか、それだけじゃない。
ダ・ヴィンチがやってたから、か?
それはあるだろう。
でも、ダ・ヴィンチの習慣でなかったとしても、逐一自分の手で記録をつけるというのは、自分が偉大な何かにつながっている感覚がある。
まるで、自分が身につけているカラビナを、自分のあこがれの人が差し出したカラビナに繋げさせてもらったような感覚なんだけど。
手帳は、一枚紙と違って、容易には捨てられない。
よしやゴミ箱に放り込んだところで、ゴミ処理場で燃やされるまでは存在している。
自宅からゴミ処理場までのどこかの時点で、他人の手に渡るかもしれない。
手帳とはそういうものだ。結局のところ、失っても、容易には消え去らない。
日記、書簡、フィールドノート……そうしたものは、物理的に消失せずに生き残ると、歴史的資料となることを、僕たちは薄々意識しているものと思われる。
たぶん、「手帳」の習慣とは、歴史とつながる習慣なのだろう。
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