人文学を自分の味方につける最初の方法
その人の立場や知的レベルを問わず、人文学を自分の味方につけたいなら、するべきことはひとつ。
本を読むこと。
もうこれだけです。
しかし、本を見つける方法次第で、人の知識の質は左右されます。
今回は、まったく予備知識のない<ゼロの立場>に立つ人が、どのように人文学の扉を開けば良いのか、そのひとつのガイドです。
(今回の内容は、かつて公開していたページを加筆したものであるため、
「人文学って何だ?」と内容が重複している部分があります。
そちらをすでにお読みになった方は、
・人文学を味方につけるとは、どういうことか
・21世紀の人文学
この2項目だけお読みください。)
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「人文学」を百科事典で引く
文系と理系、という区分けは、誰でも一度は聞いたことがあるでしょう。
しかし学問の世界では、この分け方は一般的ではありません。
実際には、
人文学(あるいは人文科学)・社会科学・自然科学
この3つの区分けがポピュラーです。
なぜ、いつごろこの3つになったのか、人文学の定義は、といったことに関する考察は別のページで説明するとして、ここではごく簡単に確認するだけにしておきましょう。
人文学。
大きい書店や大学のパンフレットではよく見かけるこの単語ですが、それが何なのか、ハッキリと説明できる人は少ないのかもしれません。
そんなときは、辞書か事典を引くに限ります。
ひとまず、自分の中に何一つ知識がない、と想定して、
図書館によく置いてある、平凡社の『世界大百科事典』を引いてみましょう。
まず、「人文科学 cultural sciences : humanities」という項目がありました。
「人文科学は広義の文学、人文学と同義であり、人間の文化を創造する真の人間性と、人間を客体化し対象化する科学・技術をもその契機とする真に人間的な事柄とに関する、基礎的諸学と解すべきであろう。」
真の人間性、というあたりは、ちょっとナイーブすぎる気がしますが、それでも上手くまとまっていると管理人は思います。充分と考えるとしましょう。
ただ、残念ながら、この項目では明確に定義が述べられているわけではありませんでした。
似た項目として、すぐ近くの「人文主義 humanism」を見ると、どうやら、今日「人文学」と呼ばれているものの歴史が書いてあるようです。
それによると、古代ギリシャ・ローマ時代の概念にhumanitas(フマニタス)というものがあり、これは、その時代の教養を意味した。
その後、古代ギリシャ・ローマの知恵や知識はヨーロッパの混迷期に一旦消え、15世紀にイタリアのルネサンスで、「フマニタス学」studia humanitatisとして再び関心が強まった。そういうことだと分かります。
このフマニタス学は、古典古代の文学研究、より良き人間を形成するための知的探求、このふたつの側面があり、当時の大学生に最も人気のある学科であった、と書かれています。
このhumanismの流れを受け継いだのが、今日のhumanitiesであるとあたりをつけてよいでしょう。
ここで気になるのは、cultural scienceという語。
私たちにとって、数値や方程式などに裏打ちされている、つまり自然科学というイメージが強い「science=科学」がここに出てきて本当にいいのか、と思いますよね。
実は、「社会科学」の項に、このヒントが書かれています。
科学、という言葉の最もゆるい規定は、「科学=学問一般を指す」、というもので、
逆に最も狭い規定は、17世紀以来の自然科学の方法を用いることが科学だとする、とのこと。
そして、この狭い規定を現在の英語でscience、それに対して、人文学をhumanities、artsと呼ぶようになった。
では、cultural scienceという語はどこから出現したのか??
関連項目として「文化科学」という箇所がありました。
なんとそのままではないか、と思って読んでみると、ドイツ語で、「kultur wissenschaft」とあり、19世紀末以来の用語で、当時「自然科学」の対立語は「精神科学」であったが、その代わりに用いられるようになったとのこと。
うーん、確かなことは分かりませんが、ドイツ由来の言葉が英語に直訳されたということでしょうか。
cultural science、humanities、artsと、以上見ただけでも、「人文学」という領域を指す英単語として3種類の呼び方があるのがわかりました。
しかし、どの解説も、「人文学」の定義としては非常に曖昧に終わっていました。
ということは、厳密な定義と厳密な表記があるわけではない、という判断がひとまずできます。
そうなると、人文学という入れ物には、かなり多数の分野が入ることになります。
歴史学、言語学、論理学、宗教学、考古学、文化人類学……
挙げ始めたら、キリがありません。
実際、どの分野が3つの区分のどこにはいるのか、世界共通ルールはありません。
おおまかな傾向があるだけです。
例えば、日本の早稲田大学は心理学を文学部の中に入れていますが、心理学は数値を扱って研究をしていますから、社会科学、または自然科学に入れるのが当然、と考える人もいます。
ともあれ、人文学がどんなものであるか、次第に分かってきました。
学者によって、細かい異論はあるでしょうが、人文学とは何か、については、今はここで打ち止めにしておきましょう。
人文学の学び方
今度は、人文学の学び方を考えてみましょう。
原則として、人文学の学び方はひとつ。
本を読むことです。
さてここで、もう学びたい分野が決まっている人もいれば、「教養」と世間で呼ばれているものを身につけたいだけなんだけどな、程度に考えている人もいるでしょう。
どちらにしても、最初のステップで大切なのは、次の2点です。
・頭の中に、ある分野の地図を作ることが出来るか
・良い本を見つけられるかどうか。
(どんな本なら「良い本なんだ」、というのは、今回は置いておきます)
人文学を学び始めるのに、良い手順があります。
1:立ち読みして、入口となる本を見つける
ひとまず、自分が図書館か、大きい本屋にいるとイメージしてみてください。
新しく学ぶことを探しているとします。
しかし、それが何なのか、自分の中でははっきりしていない。
文庫の棚や新書の棚に行くと、「〇〇入門」というような書名の本がたくさんあります。特に新書に多いのですが。本の背表紙のタイトルを眺めながら、なにかしら自分の興味の網に引っかかってくれるかどうか、試してみます。
何かが引っかかったら、それが、学びたい分野です。
2:本をレベル別に分ける
歴史なら歴史の、哲学なら哲学の、宗教なら宗教の、分野別の本棚があります。
そこに移動し、どんな本があるか、ザッと見てみましょう。
だいたい、予備知識なしで読めそうな本と、レベルが高度で、ページをめくってもよくわからない本の2つに分けられます。
難しい本は、入門書の種本=参考文献であることが多い。
ここで、本にはレベルがあって、もし体系的に学ぼうとしたら、読むべき順番があるのだ、と気づくことになります。
そこで、
3:自分が知りたいトピックを見つけよう
ここまできたら、頭の中に、その分野の地図がなんとなくでき始めています。
この分野じゃこの人が有名なんだな、とか、ヴィジュアルに訴える本が多い・少ない分野だ、とか。
そこで、「この部分、もっと知りたい」というポイントを探します。
そして、その本を入手します。
もうこの時点で、自分が知りたいことを見つけている可能性が80%です。
もし全然見つけられないとしたら、その分野はたぶん、今のあなたが必要としていない分野なのです。ほかを当たってみましょう。
以上の手順を、実際に図書館や書店で実行してみましょう。
30分くらいで一巡するはずです。
もう一つの方法:敷居が高そうな本を、予備知識無しでいきなり読む
実は、管理人のオススメはこれ。
これは、ぜひとも迷わずやっていただきたい。
世の中、「難しそうな本だから自分なんかに読めるわけないし手に取らない」、という人が多すぎです。
外国語から翻訳された詩や哲学書でも、読んでいるうちに著者のノリに気づいて理解できるようになる、という場合が、実は意外と多いのです。
ただ、ハードカバーでこれをやろうとすると、分からなかった時の金銭的リスクが大きい上、そもそもその一冊を選ぶのも大変です。
この方法を試すなら、講談社学術文庫、河出文庫、岩波文庫の棚で気の向くままに探すと、見つけられる可能性が高い。
人文学を味方につけるとは、どういうことか
さて、学びたいことが見つかったら、実際に、自分の関心にヒットした本を読みます。
ここで一言。
人文学を自分の味方につける、とは、具体的には、どういうことなのでしょうか?
これは、人によって答えがいくらでも出てくるものです。
今回は管理人の考えをいくつか挙げる事にします。
人文学を味方につけるとはーー
本に書かれている記述の中で、自分が憶えておきたいと思うことを、憶えておくこと。
世の中には、情報が無数にあります。
新たに生まれる情報も、わんさかあります。
自分のもとにやって来た、たくさんの情報の中で「これは忘れたくない!」というものを、忘れないでおくこと。
シンプルですが、これが人文学を味方につけるということです。
しかし、一度読んだだけで記憶できる人はごく少数です。
だから、本に線を引いたり、ふせんをつけたり、ノートにまとめたりするのが、人文学を味方につける実際的な手段なのです。
人文学を学ぶ(これまで蓄積されてきた知識を得る)には、そして研究する(自分の力で新たな知を発見する)には、文字の書かれた資料、自分が書く紙とペンさえあれば、すぐにでも始められるのです(いや正確には、これは人文学というより、文学の技術なのですが、まあそれは、別の機会に述べましょう)。
人文学を味方につけるとはーー
知らなかったことを知り、知識が無かった過去の自分に気づくこと。
例えば、思春期の子供たちの心理や行動を分析する優れた本はたくさんあります。
管理人はそうした本を手に取るたびに、「これを知っていたらあんなに悩まずに済んだのに!」と思います。
あるいは「これを知ってさえいれば他人を救えたかもしれないのに……」と思うことなんてしょっちゅうです。
世の中、知識が全てではないし、知識だけが力なのでもありませんが、
「世の中で一番怖いのは、無知だからね。」
と、管理人は、とある博学な大学教授から聞かされました。これは本当にその通りです。
人文学を味方につけるとはーー
人間の考えることには、パターンや枠組みがある、と気づくこと。
人間が考えることや、行動の種類なんて、だいたいお決まりの法則があって、それを踏襲しているだけです。
それに振り回されるよりは、とっとと法則を見つけ出して、憶えてしまい、うまくそれに乗っかるもよし、パターンの外に出て別のパターンを創り出すもよし。
人文学は、これらの実例と分析の宝庫です。
21世紀の人文学
さて以上で、人文学を味方につけるための一番最初のステップを確認するという目的を、ひとまず果たせたとは思うのですが……
ここで改めて、人文学とは何か、ひとこと書かねばなりません。
注意せねばならないのは、「人文学」というワードは、ナイーブに使うには危ないものだという点です。
哲学者の西谷修が提唱した概念に、「フマニタス」と「アントロポス」があります。
これを、同じく哲学者の佐々木中が簡潔に要約した文章を見てみましょう。
ヨーロッパの語彙には、「人間」を指す語彙が二つある。ひとつは、「人間(humain)」「ヒューマニズム(humanisme)」「人道的な(humanitaire)」の語源となった「フマニタス(Humanitas)」であり、これはラテン語を起源とする。
もうひとつは「人類学(anthropologie)」、「類人猿(anthropoïde)」、「擬人化(anthropomorphisme)」、「人体測定法、犯罪者識別法(anthropométrie)」、「人肉食(anthropophagie)」の語源となった「アントロポス(Anthropos)」であって、これはギリシャ語起源である。
一見して用法の違いは明らかだ。フマニタスは近代の端緒たるルネサンス期から知識人によって使用された語(人文主義)であり、要するに西洋人の自称である。(『夜戦と永遠』)
対してアントロポスは、フマニタスにとっての客体に過ぎず、研究対象として格下げされた者という位置付けです。
しかし、近代西洋人こそが主体的人間であり、非西洋人・近代以前の西洋人は皆彼らの研究対象である、という態度は、人間の実態とはかけ離れています。
フマニタスは、アントロポスの特殊な1ヴァージョンにすぎない。
だから佐々木はこう言い切るのです。
われわれは「フマニタス」ではなく「アントロポス」である。(…)人間中心主義批判は、すべてではないにせよ、往々にして西洋人の自作自演にすぎない。人間さもなくば動物というのは、西欧中心主義的・人種差別的思考である。
(「「夜の底で耳を澄ます」を要約する12の基本的な注記」)
フマニタスという単語から生まれたヒューマニズム=「人文学」の現代的意味が、近代西欧人とアントロポスという区分けの上にあぐらをかくようであって良いわけがない。
「人文学」の「人」は、「例外なしの人間」であるべきでしょう。
(どこまでが人間なのか例えば機械と人間の境界線も揺らいでるんじゃないの現代は、という意見もあるでしょうが、それさえも、いやそれこそ、人文学の問題なのです。)
したがって、今必要なのは、21世紀にふさわしい、人文学の定義です。
試しに、次のような案を出しておきましょうか。
「人文学とは、すべての人間による、すべての人間を対象にした、人間の営為を探求する学問分野である。人文学は、人文学それ自体の定義の更新を行ない続ける。」
参考になる文献
フマニタスとアントロポスについて詳しく知りたい方は、
『20世紀の定義(4)ーー越境と難民の世紀』(岩波書店)
西谷修「ヨーロッパ的<人間>と<人類>ーーアンスロポスとフマニタス」
『夜戦と永遠(上)』(佐々木中、河出文庫)
449ページ目から始まる第51節、および546ページ目の注釈をご覧ください。
「「夜の底で耳を澄ます」を要約する12の基本的な注記」全編を読みたい人は、
『砕かれた大地に、ひとつの場処をーーアナレクタ3』(佐々木中、河出書房新社)をお読みください。