ド文系の人間だけど数学を理解したい。(1)

このサイトは人文学(人文科学)の入り口として作られているわけですが、管理人の最近の個人的な関心は、これまでの人生でまったく触れてこなかった、経済学や数学にあります。

自分がぜんぜん知らないことを、どれほどハイペースに、どれほど明晰に理解できるのか、試してみたくなったんです。

特に、数学。
中〜高校を通して典型的数学アレルギーだったわけです。
僕は高校3年生に進級した日、もうやらなくてよくなった数学の教科書をすべて燃えるゴミに放り込んだのですが、
「でも、ここまでわけがわからないのって、ぜってー変だよな???」
という思いが、脳のどこかには常にあったのです。
まったくもって理解できなかったのには、なにか、特別な原因があるはずだ、と。

一ヶ月ほど前、勤務先から帰る途中、僕の脳の中から、あるフレーズがはじき出されてきました。

「数学とは、関係性の発見ということではないか?」

その意味は、自分にもよくわからないんです。
その時は数学のことを考えていたわけじゃありませんでした。歩いているときに、何の脈絡もなく、出力されてきた。
ただ、「関係性の発見」という表現は、人文学の発想なんじゃないだろうか、とは思いました。
例えば、僕らが死ぬほど書かされた、あのX軸Y軸のグラフは「デカルト座標」というのですが(専門用語だと正式名が別にあるらしいけど)、あれは代数学との関係性の発見だよな、と思い、また、高校1年のときにやった集合論というやつも、要素や集合の関係性を調べる作業だったなあ、くらいには考えました。

そこで、ふと、数学をやり直してみよう、と決心しました。
ただ、そのやり方は、高校の頃と同じではいけない。
別の、まったく別のアプローチを考える必要がありそうです。

文学に触れるのは、誰でも簡単です。
文学作品なんてどの本屋でも無数に置いてあるのですから。
しかし数学は?
ある程度オーセンティックに知識を得たいとしたら?
丸善本店を散々歩き回った結論は、
「ド素人が数学を学ぶには、高校の参考書を使うしかなくない?」
でした。

しかし、いざチャート式の一番基礎レベル(白色)を開いてみると、
……わかったのです、隅から隅まで、書いてあることが。

これには驚いた。
一体、高校生の頃と何が違うっていうんだ?

まあ、理由はすぐにわかりました。
僕はもう、例題を解く必要が無いのです。
だから、必死になる必要がどこにもない。
単に、数学用語をおぼえ、定義をおぼえ、図を眺めて理解すればいい。
説明は簡潔だから、分厚い参考書を読み始めても、自分に必要な部分はごくわずかだ(参考書のほとんどは例題と解答に大半のページが割かれているから)。

僕の生活には、数学の本は必要なものではありません。
しかし、

・なぜ高校生の頃にあれほど苦手だったのか。
・数学教師の教え方に、問題は無かったか。
・「抽象性」というものをより高度に理解するために、数学は利用できるのではないか。
・ド文系の自分が数学をある程度理解できたら、数学を人文学の言葉で表現できるのでは。そしたら、数学が苦手な中学生や高校生に向けた解説ができようになるんじゃないか。

こんなことを考えて、今こそ、数学アレルギーという洗脳状態の克服をせねば、と思ったのです。

さて、それではどこから始めたのか、というと……
長くなったので、それは次回書くことにしましょうか。

この件、今月中に何回か書いて、シリーズにします。

EDITED BY

森大那

1993年東京都出身。作家・デザイナー。早稲田大学文化構想学部文藝ジャーナリズム論系卒業。2016年に文芸誌『新奇蹟』を創刊、2019年まで全11巻に小説・詩・批評を執筆。2018年にウェブサイト&プロジェクト『彗星読書倶楽部』を開始。2020年に合同会社彗星通商を設立。

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