10月の読書会報告
豊田徹也『アンダーカレント』
10月28日(日)、根津の古書店&カフェ『弥生坂 緑の本棚』にて、月イチ読書会を開催しました。
課題作品は、2005年の刊行以来、愛され続けているロングセラー漫画『アンダーカレント』。
ツイッターで告知をすると、やはりファンが多いためか、なかなかの反響でして。
そのおかげもあり、今回も初参加の方々(管理人とはまったくの初対面)が参加してくださって、実に嬉しいスタートとなりました。
豊田徹也『アンダーカレント』とは
講談社アフタヌーン誌に、2004年10月号から一年間連載され、2005年に単行本が刊行された漫画、『アンダーカレント』。
作者の豊田徹也は、きわめて寡作な漫画家で、ここ数年は新作を発表しておらず、現在なにをしているのかも不明。
彼の絵の特徴は、
・極めて端正な顔の描き方
・わたしたちの日常と何ひとつ変わらない、生活感のある舞台
・コマの巧みな配置によって生み出される独特の時間演出(叙述時間の操作)
といったところでしょうか。
『アンダーカレント』は唯一の長編漫画ですが、豊田徹也独自の技術を凝らした、強い読後感が胸に残る作品です。
あらすじ
夫が失踪して以来、経営する銭湯「月の湯」を休業させていたかなえは、おばさんと一緒に営業を開始する。その翌朝、組合の紹介でボイラー技能士の堀が訪ねてきた。
夫が不在の家で、しばらく堀を住み込みで働かせることにしたかなえだが、旧友との再会をきっかけに探偵の山崎を雇ったことから、少しずつ夫の隠された秘密に触れてゆくことになる。
みなさんの感想まとめ
ごく一部ですが、会場で出た感想を記しておきます。
・かなえが山崎と会う時の服装が古い。PTAのお母さんみたいだ。時代と場所はどこなのか。
→ロケ地として三鷹の写真がネットで紹介されていて、堀の履歴書には住所が東京都三鷹市下連雀とある。京王線・新宿線沿線なのだろう。
・山崎やサブじいといったコミカルな役柄がメガネやサングラスをつけているのは意味があると思う。
→サングラスで眼を隠している人のほうが人間を見抜いているかのよう。
・登場人物の眼が気になる。澄んでいるのか濁っているのか判断しかねる。
・人物の表情を見ていると、自分もこんな顔をしている時があるのだろうな、と思う。
・下着泥棒と銭湯火災はこの作品の中でどのような意味を持っているのか。
→前半と後半を分けるためのエピソードだったのでは。
→少年が持ち歩いていたバタフライナイフは90年代に社会問題化していた。
・友人に勧めると、2人にひとりくらいは、「寂しい終わり方だ」と感じたようだった=最後に堀が町を去ったのだと勘違いする人が多かった。
管理人からの質問1
「一番好きなコマは?」
・冒頭の見開き絵
・第7話の湖のシーン
管理人からの質問2
「映像化するとしたらどうなるだろう?」
・是枝裕和の『海街diary』に似たものになるのではないか
・昔の8mmフィルムや学生が作った自主制作映画のように、古さや素人っぽさがあるほうがいい
それぞれの話題について、会場では深く考え進んでいきました。みなさん面白い意見を投げてくださって、もう、メモが追いつかなかったくらいです。
管理人の『アンダーカレント』
第7話で、知り合いのつてをたどってバーナーを譲ってもらうことになっていたお風呂屋さんが焼け落ちた、という場面があるのですが、ここについて話題になった時、急に、ある記憶が蘇りました。
管理人が幼い頃、近所に、祖父・父がひいきにしていた美容室があり、私もそこで美容師のおじさんに髪を切ってもらっていたのですが、小学校高学年の時、おじさんが店に火をつけ、逮捕されたという話を両親から聞いたのでした。
これは、普段驚きをそれほど大きく感じない私にとって静かなショックでして、数週間後に現場に行ってみると、外見はそれほど変わっていないものの、店内は黒焦げ。
なぜ放火なんてしたんだろう? 理由は結局分かりませんが、この事件は無意識に尾を引いていたようで、美容師のおじさんが夢の中に出てきたほどです。
かなえと堀が辿り着いたお風呂屋さんの店主は行方不明で、死体も見つかっていない。
結局、理由は謎のまま、なのです。
この、心をえぐる事件の原因が分からないもどかしさ、というのは、
夫が失踪した理由がわからないまま日常生活を続けざるを得ない、かなえの状況の隠喩として機能しつつ、夫の失踪の真実が段々と明らかになってゆくその後の展開の踏み台として、物語に生彩を与える要素となっています。
記憶の鍵がひとつ開く、という経験も、読書会という「現場」でたびたび起こる事態です。
ツイッターでの情報にも感謝です
ツイッターの告知に反応してくださったsyoukoさんからは、連載時のページ画像を見せて頂き、編集部が欄外につけたコピー、単行本未収録ページなど、貴重な資料を提供していただきました。
まるで、この漫画の愛され具合が目に見えるかたちで受肉化されたようなsyoukoさんのツイートには、感謝しきりでした。
豊田徹也さんの『アンダーカレント』読書会。残念ながら参加できないので、感想をお待ちしています…。
再掲ですが、コミックスには未収録の第9話の扉絵前の1ページを貼っておきます。#彗星読書会 pic.twitter.com/nR2iQf2b4U— syouko (@Lacus_Temporis) October 25, 2018
また、読書会当日の2日前、朝日新聞デジタル上での笹山美波さんの連載「本を連れて行きたくなるお店」で、押上の銭湯「大黒湯」とともに、なんと『アンダーカレント』が取り上げられていて、こりゃナイスタイミングだと嬉しい驚きでした。
街の人とちょこっと会話して、冷たい瓶ビールとベーコンエッグ。最高です。朝日さんでお気に入りの銭湯と食堂を紹介させていただきました。/押上の「大黒湯」と「ときわ食堂」で、漫画『アンダーカレント』の雰囲気にひたる休日 – 朝日新聞デジタル&M:朝日新聞デジタル https://t.co/0CliFJMvur
— 美波 (@mimi373mimi) October 26, 2018
インターネットで『アンダーカレント』についてのコメントを探していると、量は決して多くないながらも、コンスタントに書かれていることが分かります。
豊田徹也の漫画が作り出すリズム、つまり、1枚の絵や写真や、線条性(一行一行でしか進めない)という特徴を持つ言語芸術では産み出し得ない、漫画というメディアでしか作り得ない、人の表情や感情の速度というものが、『アンダーカレント』の読者の中に確かに底流として流れていて、他の何かでは体験し得ない「生き方」を、あるときふと思い出してしまう、ということかもしれません。
この作品が愛される所以でしょう。
それを知る以前の自分には決して戻れない、決定的な体験――
それが芸術という体験なのだと仮にうそぶいてみるならば、
『アンダーカレント』は、まさしく、まさしくです。
すんません写真ないです
で、実に間抜けなことに、会場の写真を一枚も取らずに終わってしまったので、あの臨場感をお伝えする画がまったくありません。
今どきのネット記事としては致命的なミスですな。
そんなわけで、文章ではお伝えしきれない、彗星読書倶楽部の読書会を体感するために、ぜひ今後の読書会にご参加くださいませ。
というまとめで許してください。
「大那はまぬけだから」by堀江敏幸